バルビーノ・ガルベス | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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プロフィール | 右投右打 64年3月31日生 投手 ドミニカ共和国出身 プエルトリコ高→ドジャース→台湾・兄弟→巨人・96〜00年→韓国・三星 |
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獲得タイトル | 96年・最多勝利。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
通算成績 | 投球回 | 勝利 | 敗戦 | セーブ | 防御率 | 奪三振 | 四死球 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
751 | 46 | 43 | 0 | 3.31 | 443 | 234 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
時に1996年春…巨人のキャンプ地、宮崎にはたくさんの報道陣が集まり、平和にそして大いに盛り上がっていた。そんな中、呼ばれてもいないのにいきなり現れ150km/hの速球を投げ込み、半ば押しかけでテスト入団したのが、このガルベスだ。当初は、さほど期待はされていなかったが、ガルベス自身は、「自信がなければ日本に来ない」と豪語。いざ開幕してみると、その実力たるや恐るべし!デビュー戦は敗戦投手となってしまったものの、その後は6連勝、7連勝と向かうところ敵なしの大活躍!防御率、勝利数、いずれもリーグトップを走り、一躍ローテーションの柱となり、最下位と苦しんでいた巨人の救世主となった!球は非常に重く右打者の懐に食い込む物凄いシュートで1試合に3本ものバットをへし折った事もある。こうしたガルベスの活躍もあり、史上最大の11.5ゲーム差をひっくり返し見事チームを優勝に導き、ガルベス自身も斎藤雅樹と並んで最多勝を獲得した。その一方で内角攻めにキレた中日の山崎を冷静に利き腕とは逆の手で殴り返し見事なまでのカウンターを見せつけるなど、性格の粗さも一級品! こうして見事なまでの活躍をしたガルベスと2年目の契約を結ぶ。 ストレートは投げれば、150キロの重い剛球。しかも、わずかに打者の手元で変化し、バットの芯を外す、ムーヴィング・ファストボール!それに加え内角をえぐるシュート、他にもチェンジアップ、スライダー、カーブと多彩な変化球。向かうところ敵無しだったが、このガルベス非常にキレやすく、審判のストライク判定によく不満をあらわにしていた。しかし裏を返せば、それだけ際どいコースを突けるだけのコントロールがあるということ。そして、9回に入っても球威がまったく衰えないスタミナ。素晴らしい能力を持った投手だったが、ハートが激弱……。 ランナーが出れば、イライライライライライライライライライライライライライライラしているのが、テレビ画面越しでも伝わってきた。イラつかせさえすればコントロールが乱れ、セットポジションからの投球がヘタなこともあって勝手に自滅してくれるので、どの球団も徹底してランナーを使って揺さぶりをかけてきた。さらにこの投手、投球テンポも悪いので、味方のエラーも多く、1球投げるのに時間がかかりまくり、9時30分でまだ5回なんて事もあった。 遂に化けの皮がはがれ出したが、斎藤雅樹・槙原寛巳といった3本柱が怪我で離脱する事が多く、ガルベスの力は必要不可欠だった。しかし、この判断が日本球界に激震を与える事件を生み出す事になった。 98年夏、その日も自信満々の球を、ストライクにとってもらえなかったガルベスは、審判にボールを投げつけるという暴挙!これで、ガルベスは無期限出場停止処分になり、あの長嶋茂雄の頭を丸めさせるという前代未聞の事件となった。 しかし、そんなガルベスでもなぜか球団は手放そうとせず、翌年恥も外聞も捨てて復帰させた。そのさいガルベスは「僕は生まれ変わった。ミスターを男にする」と発言。巨人では戦後初の外国人開幕投手を努めるなど、相変わらずピッチングは素晴らしく1試合3点取られれば多い方だったが、イライラ病は治っておらず、野手の援護は極端に少なく、9勝12敗と遂に負けが多くなる。しかし、9勝まで到達したのはガルベス自身のバッティングによるものが大きく、投手初の満塁ホームラン2発や、横浜スタジアムでは松井秀喜ですら1度しかやっていない場外ホームランまでやってのける。 負けが多くなってきたとは言え、防御率は決して悪くなく、安定した成績を残せる投手として、2000年も契約。 しかしイライラしやすく恐いというイメージが、ナインにも定着し、ガルベスが投げる時にはナインがノビノビと野球が出来ずに、野手に援護してもらうことが少なかった。その結果、好投しても勝てないという悲惨なことが多かった。こうして、防御率は良いにも関わらず6連敗を喫し、投手陣が充実してきた事もあって、遂に2軍行きとなった。 これにホッとしたのか、巨人は久々の優勝を手にし、ガルベスの存在を忘れON日本シリーズを勝ち取る。 こうして、遂に巨人を退団することになってしまう。 しかし、日本球界では珍しく5年間先発の柱に君臨したのは、十分に評価すべきであり、間違いなく最高の好投手でした。 また、打撃面でも在籍5年で、98年と00年はシーズン半分しか出場していないにも関わらず、通算10ホームランという豪打ぶり、しかもチャンスにはメッポウ強かった。パワプロではパワーCが付くなど、野手顔負けのパワーの持ち主でもあった。
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